読書感想文がきらいなきみへ

読書感想文が嫌いです。

特に日本の学校教育で行う読書感想文。
指定した本を読んで思ったことを書きなさい、原稿3枚で、とかそういうやつだ。

指定した本、というのがまずつまらない。
道徳の授業に出てくるようなものばかりで、小中学生が心踊るような内容では決してない。

そもそも、本を読んで思う感想なんておのおの自由であるべきだ。

登場人物がどいつもこいつもクズばっかりだな、とか
流れるようにページをめくっていたら突然意味不明な行動を取って理解するのに10分かかった、とか
そういうものは本を読むことで生まれるエピソードであり、感情だ。
その本と読者との物語といってもいい。

本を読むということは、
その本の世界と素手で殴り合い、価値観をぶつけあう事のはずだ。
そうやって生まれたお金じゃ決して買えない体験や記憶を全てシュレッダーにかけてしまう行為が読書感想文というやつだ。

さて、指定された本がいじめをメインに取り扱われていたとする。
いじめがよくないとか、原因があってもいじめはダメとかそういった当たり障りのない感じの内容に終始する読書感想文をでっちあげる。
きっと良い点数が付くだろうし、評価する人間の感性によってとても良い物だと判断されれば集会などで発表することになるはずだ。

良い点数を取るために、あるいは評価のために書く。
道徳上良いこととされる観念をその本の内容を使って綴るのである。

その過程で、主人公の食卓に並ぶ料理の描写がずいぶんリアルであるとか、
登校途中の風景や雰囲気の描写に対して「わかるわー」みたいな感情はノイズになり排除される。

これのどこが読書感想文なのだろうか。
本を読む必要がない。読んでいるのは空気だけだ。
思想や感情を、点数という外的評価に合わせてコントロールする訓練といったほうがいい。
むしろ出来上がったケツを拭く価値もない原稿用紙をドラム缶にいれ、焚き火をするべきだ。

外的評価が人間の全てではない。むしろ内的評価を大事にしなければならない。
誰かの評価があなたの絶対的存在価値を決定するべきではない。
現代人は自分を大事にすることを知っているべきだ。
常に自分を助けることができるのは自分である。


本を読んで生まれた感情を肯定するということは内的評価を高める行為だ。
その逆の事をやっているのが読書感想文である。
アダルトチルドレンや新型うつの増加が騒がれているが、
いずれも内的評価の低い事が共通する。
見事に内的評価の低い奴隷のような人間の生産に成功しているといえる。

登場人物がクソだとかそういう感情はぜひ大事にしてほしい。
その感情を大事にするということが自信や、自己評価を築くことに繋がるはず。

私はそういったことを全く教えてくれない教育、特に読書感想文が嫌いです。


もしこの記事を読んでいる方が学生で読書感想文はクソだ、やりたくない!と思っているなら、
読書感想文はそびえ立つクソであることを認識したうえで、
書きたいように感想を書いた、本当の読書感想文をSNSにアップロードしていただきたい。
それに対して0点の評価がついたら是非教えてください。
私がほめちぎります。
(クソみたいな道徳上素晴らしい文章も一応書いておき、再提出を求められたら叩きつける事をおすすめする。)



追記
本を読む、アニメを見る、映画を見る。
どれも、他人の評価はほっといて自分の評価を持って、守ってください。
面白かったら面白かったしクソだったらクソだった、そんなんでいいです。
もっと本を読んで面白かったら面白かった!ここがこうだった!というのはしょうもない事でいいから発信したほうが楽しいと思います。


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